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記録のイチロー選手と捨石の松井選手

200963

宇佐美 保

 昨日(200962日)の朝日新聞のコラム『EYE』に、西村欣也氏(編集委員)が「記録へのこだわり いさめた神様」との題目で書かれた次の記述と、今日の夕刊の記事に興味を抱きました。

 

 

記録へのこだわり いさめた神様

 

 プロ野球を見るには2種類の楽しみ方がある。ひとつはひいきチームの勝敗

もうひとつは選手の個人記録だ。

 マリナーズのイチローが531日(日本時間61日)5打数4安打1打点と活躍し、連続試合安打を自己記録にあと1試合と迫る「24」とした。

 日本では記録が独り歩きすることがある。ペナントレースの終盤、勝負に関係なく、本塁打や首位打者を巡って露骨な敬遠策がとられることがある。

投手記録でもこんなことがあった。84年阪神の福間納が当時、西鉄・稲尾和久が持っていた78試合登板という日本記録を破ろうとしていた。その時一人の男が立ち上がった。「記録の神様」と呼ばれ、先月17日に亡くなった宇佐美徹也だ。スポーツ紙で記録記者という分野を開拓した彼は、阪神監督の安藤統夫に手紙を書いた。「42勝をあげた鉄腕・稲尾と4勝の福間を登板回数だけで比べるのは記録ではない。そんなものにこだわるなら、自分はもう記録記者をやめようと思う」。宇佐美は記録記者という存在にさえ自責の念を抱いた。

 安藤は手紙の趣旨を理解した。福間の登板を77試合でやめさせた。

 イチローの連続試合安打にはどこにも作為はない。打ち損じに見える打球にも「幸運」では片づけられない彼の技術がこめられている。

 大リーグ記録ははるかに遠い。41年にジョー・ディマジオが作った56試合連続安打は「アンタッチャブル」(触れることの許されない)な記録として存在する。

 これからも数々の記録に挑戦していくイチローを宇佐美は天国からどう分析しているのか、と思ってしまう。

 

 

 しかし、今日の夕刊には、野村周平との署名記事の中に、次の文言を見ました。

 

 

 イチローは連続試合安打に関心を示さない9年連続の200本安打を目指す過程で、毎試合安打を打つ事は重要ではないのか、と聞かれると、静かに答えた「1試合1本、162本をベースに考える事もあるし、3040試合は無安打になる可能性があると計算することもある。色々なテクニックがあるので、そこは。どれも正解でしょうね。」・・・

 

 

 イチロー選手が、連続試合安打は兎も角「9年連続の200本安打」を目指している事は確かなようです。

なにしろ、同じ紙面に向井万起男氏(慶大医学部准教授)が、ジョー・ディマジオが打ち立てた不滅の大記録(56試合連続安打)を破る困難さを解説されていますし、その記録に近づけば、大リーグといえども敬遠の四球や、デッドボール(下手をしたら頭部目掛けての)も増えてくるでしょうから、今記録に心を悩ますのは無駄な事と、頭の良いイチロー選手は考えているかもしれません。

 

それでも、私は野球は団体競技であって、個人記録2の次と思っています。

即ち、“シーズンが終わってみたら、こんな記録が残っていた”というのが「個人記録」はあくまでも結果であるべきです。

 

 狙うのは、「個人記録」ではなくあくまでも「チームの勝利」即ち「優勝」であるべきです。

これを見事に実践したのが、アメリカンリーグで、レイズを優勝に導いた岩村選手ではありませんか!?

(その岩村選手は、膝の靭帯断裂の為、今シーズンは絶望というのが残念な事です)

 

 ですから、私は、個人記録を狙うイチロー選手が好きになれません。

そんなわけで、NHK衛星放送で毎日のように放映されるMLBハイライトは、録画しておきながら、イチロー選手が出場する(マリナーズの)場面は早送りしてしまいます。

従って、はっきりとは言えないのですが、そんな早送りで見た場面でも、2度気になる場面がありました。

 

 イチロー選手がスクイズバンドをする際、自分は犠牲となって、バンドを確実に行い、3塁走者をホームに帰すというより、自分の犠牲を厭い、あわよくば自分も1塁に生きようといったセーフティーバンド気味のバンドを行い2度ともそのバンドを失敗(ファールになったのでしたかしら)したように見えました。

イチロー選手としたら、200本安打達成の為には1打席とも無駄には出来ないとの思いなのだと私は勘ぐりました。

 

 若し、私が早送りで見た観察が正しければ、イチロー選手のチームメートも、私同様な思いを抱くのではないでしょうか?!

そして、イチロー選手は「自分達のチームの勝利」よりも「イチロー選手自身の記録」を重要視していると感じ、チームの一体感は消失して行くのではないでしょうか?!

こんなチームが勝ち続ける事が出来るのでしょうか?!

 

 「目標」はあくまでも「チームの勝利」であって、シーズン終了時に優勝が決まれば、チームメート全員の喜びとなります。

ですから、「個人記録」はあくまでも「目標」ではなく、「夢」に留めるべきです。

即ち、シーズン終了時に気が付いてみれば、こんな「個人記録」を打ち立て居たんだ。

(まあ、シーズン中は「チームの勝利」を念頭に置き、せいぜいシーズン終了時にこんな「個人記録」も達成できていたら嬉しいといった「夢」を持つことだと思います)

 

 なにしろ、

イチロー選手が所属するマリナーズには、
イチロー選手以外が好きなファンが沢山いるはずです。

そんなファン達は、マリナーズの勝利をはたまた優勝を願っているはずです

 

 

 岩村選手の負傷は残念ですが、岩村選手同様に、「チームの勝利」を優先する松井秀喜選手(手術後の膝の調子が悪い為か)の不調も残念なことです。

(先日も、代打で出場して「四球」で出塁を果たした後“どんな形でも、塁に出る事が大事ですから”と答えていました)

 

 しかし、私には、松井秀喜選手のバッティングの不調は膝が原因とは思えません。

そもそも、

バッティング技術に関しては、
イチロー選手と松井秀喜選手とは
「月とスッポン」ほどの相違があるように私は思っています。
勿論、イチロー選手が素晴らしいのです。

(松井秀喜選手が、同様な技術に開眼し、とてつもない打者に豹変することを私は夢見ています)

 

 

 このバッティング技術に関しては、『打撃の神髄 榎本喜八伝 講談社 松井浩著』の「第5章 合気打法の熟成」(榎本喜八選手は安打製造機とも言われた)には、合気道の植芝盛平翁の弟子で、剣道で当代一の実力といわれた羽賀準一氏の道場を、荒川打撃コーチ、王選手らと共に訪れた件が次のように記されています。

 

 

初日は、まず羽賀が居合の型をいくつか見せ、榎本たちは、それを真似た。それからワラの試し斬りをすることになった。ワラをしめらせて束ね、二〇センチほどの太さにして、台の上に立たせる。これを真刀で斬り落とすという。

最初に羽賀が見本を見せる。シュッと刀が振り下ろされると、ワラの束はスパッと斬り払われた。それは見事な早業だった。・・・

 それから榎本たちも、この試し斬りに挑戦してみた。バッティングを意識して、横切りに挑戦する。しかし、榎本もも、誰一人、羽賀のようには斬れなかった。下手をすると、台の上に立たせた巻きワラだけが、ボーンと飛んでいく。うまく刀が束に食い込んでも、刀は行く手を阻まれた。羽賀のようにスパッとは斬れず、半切れのワラがぶら下がっていた。何度試しても、同じことだった。しかも、羽賀の斬れ跡が水平だったのに対して、榎本たちの斬れ跡は斜め上を向いていた。

「こんなはずではない」

 榎本は、思わずそんな言葉を漏らしていた。自分では、斬れ跡が水平になるのをイメージしながら刀を振っている。しかし、眼前に現れたのは、斜め上向きの斬れ跡だった。この事実は、自分の意図と行動がバラバラで、思い通りに刀が振れていないことを示していた。

「せめて水平に刀を振らなくては」

 そう思いながら、力いっぱい塚本一寛斎を振った。日本刀の重さは約一・五キロ。バットの一・五倍以上の重さがある。ズシリと重い。その刀を歯を食いしばって振り下ろす。ガツ。「昭和の神刀」と呼ばれた名刀は、またしても、やや上向きのまま行く手をさえぎられていた。それを見つめていた羽賀が、ニターと笑う。その口元から金歯がのぞいていた。榎本は、思わず身を縮めた。

私は、あなた方の半分しか力は使わないが、斬れ味は何倍にもなる。その意味がわかりますかな

・・・

 二日目の朝稽古は、羽賀の模範演技を見て居合の型をまね、刀の素振りだけで終了した。それが一週間続き、再び巻きワラの試し斬りをすることになった。この時、羽賀が試し斬りを許したのは、王と榎本の二人だけだった。

 まず、が、約二〇センチの太さに束ねたワラに真刀を振り落とす。シュツという小気味良い音を残して、スパッと斬れた。荒川や広岡の口から「やった!」という声が聞こえ、周りがパッと明るくなった。しかし、榎本の顔色だけはウッと暗くなった。

「王君、やったな」

 

・・・「次は、榎本君」・・・

 

ところが、王選手の兄弟子でもあった榎本選手は失敗します。

 

 

・・・

王のようにスパッとは斬れなかった。さらに、何度か試してみても、斬れ昧はますます鈍るばかりだった。

「今日は、これぐらいにしておきましょう」

 羽賀がそう言うと、榎本はガクンとヒザを折った。羽賀へのあいさつもそこそこに、車のハンドルを握ると榎本の目から涙があふれた

王君は斬れたのに、なぜ兄弟子の自分が斬れないのか

 そう思うと、涙がとめどなくあふれてきた。榎本は片手で涙をぬぐいながら急いで家へ帰り、父親に頼んでワラの束をできる限りこしらえてもらった。そして、塚本一寛斎を取り出し、その巻きワラを一本ずつ斬っていった。しかし、何度刀を振り下ろしても、ワラの束は斬れない。気つかないうちに、荒川に電話をしてとにかく自宅へ釆てほしいと、受話器を握りしめながら頭を下げていた。

「夕方近くに電話があったのかな。急いで榎本の家へ行くと、巻きワラを前に真刀を構えてんだよ。それで『荒川さん、どこに欠点があるか見てほしい』と。そりやあ、もう鬼の形相というのかな。僕は、その執念に一歩も動けなかったですよ。榎本の親父さんが巻きワラを次々に作って、榎本が斬る。だけど、なかなか斬れない。何度試したかわからないよ。『やったぁ』と歓喜の声をあげた時は、とつぷりと日が暮れてたねぇ」

 榎本がぐつたりとしながらも、うれしそうに笑う姿を見て、荒川は榎本の自宅を後にした。

 その夜、榎本は布団の中で、もう一度喜びに浸っていた。巻きワラをスパッと斬り落とした一連の動きを何度も何度も思い返していた。身体が、思わず動く。と、その時、ふと両方の手にズシリと真刀の重みを感じたような気がした。そして、真刀がフツと落ちるように沈んだ瞬間に振り下ろされると、巻きワラはスパッと斬り払われた

 榎本は、「あっ」と思った。

 刀の重み

フッと沈む。

 榎本は、慌てて飛び起きると塚本一寛斎とバットを取り出して、もう一度庭へ出た。年の暮れの夜空に月がくっきり浮かんでいた。月あかりに照らされて、昭和の軍刀を振り下ろす。刀身が、キラリと光る。しかし、その刃は、度重なる試し斬りですでにボロボロになっていた。何度か刀を振り下ろしてから、今度はバットを振った。

「そうか」

榎本はそうつぶやいてから、大きく息を吐いた。白い息が、一瞬榎本の顔の前に現れて、月あかりにサーッと消えた。

『あなた方の半分の力しか使っていない』とは、そういうことだったのか

・・・

しかし、今、日本刀の重みをあるがままに感じてみると、腕の力がフッと抜けていくのがわかった。そして、二の腕の下に重みがズンと集まり、と同時に構えた刀がスッと身体の近くに寄ってきた。つまり、ワラをスパッと斬り落とすまでの榎本は、重い刀を腕の力で支えていたそれに対して、羽賀はその日本刀の重みをあるがままに感じることで、むしろ腕の余分な力を抜き、刀を身体の近くに寄せることで身体の内側の筋肉なども使って刀を支えたのである。また、真刀を振り下ろす時も、榎本たちは腕の力に頼って振っていた。しかし、羽賀は、日本刀の重みをそのまま利用して刀を落としただけだった

 地球上の万物には、重力が働いている。体重七〇キロの人が、七〇キロの重さで地面に引き寄せられているように、空中の日本刀も一・五キロの重さで地面に引き寄せられている。羽賀は日本刀を構えるときも、その重力をあるがままに感じ、振り下ろす時にもこの重力を利用していた。そうすることによって、自らの力を節約していたのである。それに対して、榎本たちは重力を無視して腕の力で日本刀を支え、振り回そうとしていた。羽賀が重力をうまく利用しようとしたのに対して、榎本たちは、その重力に対抗していたということである。

 

 

 王選手が現役時代、荒川コーチの前などで、真剣を用いて藁束を切ったり、真剣で素振りをしたりしている場面をテレビで見ましたが、この本を読んで”成る程そうだったのだ!”と思いました。

 

この榎本選手(又、王選手もそうでしょう)が会得したバッティングの極意(日本刀は一・五キロ、バットは一キロ弱)を、イチロー選手は現在実践しているように思えてなりません。

 

 一方、私の尊敬する松井秀喜選手は悲しい事に、正反対な事をしているようでなりません。

左足(後ろ足)の踵に重心を移動させて、体の軸を斜め後ろに倒し
まるでバットを振り上げるような体勢として)無理にバットを水平に振ろうとしています。

この準備の為に、バターボックスに入る際、
いつも、スパイクで一生懸命に、左足部に穴を開けようとしています、
まるで墓穴を掘っているように思えてなりません。
そんなことをすれば左足(左膝)に余計に負担が掛かるでしょう?!

MLBハイライトの松井秀喜選手の場面では、
この体の軸を後ろに傾けたフォームの写真が毎回のように出てきます)

 

 なにしろ、NHKのインタビューの場面で、

“ライト方向に打つのが一番飛ぶ”と松井秀喜選手は答えていたのですから、

後ろに傾けた体軸を中心にバットをライト方向に向けて振り回しているのかもしれません。

こんなバッティングフォームでは、腰が(そして方も一緒に)早々とライト方向に開いてしまい、アウトコースのボールは(レフト方向に打てばよいものを、なにがなんでもライト方向へ打とうとしていますから)、なんとかバットに当たってもセカンドゴロが精一杯です。

 

 

 ところがなのです。
左膝の状態が悪かったり(この数試合)、或いは、骨折後で左手首が十分に使いきれない時(松井秀喜選手が月間
MVPも取った夏)は、松井秀喜選手が良いと思って心掛けているフォームが取れない場合(即ち、左足に十分に体重がかけられなかったり、左手に頼ったりする事が出来ない状態)では、レフトに打球が飛んだり、センター方向にもホームランが出たりしています。

 

 

 私は、いつも思っているのです。
確かに、長嶋茂雄氏は松井秀喜選手が巨人に入団している長年、松井秀喜選手のバッティングを指導されてきました。
そして、その事からも松井秀喜選手は長嶋氏に大変感謝している事が伺われます。
現役時代の長嶋氏は、「記録」は兎も角「記憶に残る選手」でした。
しかし、その長嶋氏
のスイング(バッティングフォーム)に関して、大リーグのホームランバッターであるバリー・ボンズ氏は“メジャーのピッチャーにはあまり通用しそうにないスイングだ”と語っていたのです!

 この件は、先の拙文《超一流(松井選手)と凡人》にも抜粋させて頂きましたが、マーティ・キーナート氏(1967年初来日以来一貫、日米を通じたスポーツビジネスに身をおかれている)のホームページに「長嶋に「ホームランを打ったことはある?」と聞いた男」との題目での、この長嶋氏のインタビューについて次のように記述されていました。

 

ボンズは長嶋の現役時代のビデオを見せられ、スイングについて感想を求められた。ボンズはこう答えた。

"I like that. Dead pull hitter...He only pulled the ball."

これは、「僕の好きなスイング。引っ張って打つわけですね」と通訳された。でも実際は、ボンズは「好きです。100%引っ張るだけの打者だったね」と言ったのだ(つまり「流し打ちができなかった打者」という意味にも取れる)。ボンズの発言の後半は、明らかにほめ言葉というわけではなかったが、そのようには通訳されなかった。

ボンズはさらに言った。

"I'd like to see that swing against American pitchers, though..."

その続きには、メジャーのピッチャーにはあまり通用しそうにないスイングだという意味が込められていた。でも、そのニュアンスも通訳されなかった。

(尚、このホームページへなぜか今は到達できません)

 

 しかし、善人の松井秀喜選手は、長嶋氏への恩義を決して忘れません!
ですから、私には、今以って、長嶋氏の教えを忠実に実行しているように見えてなりません。
(大リーグ、そして、ヤンキースには良い手本となるバッターが沢山いるのに!)
そこで、下種の私は次のように思うのです。

“松井秀喜選手が巨人に入団した時の監督が、
長嶋茂雄氏ではなく、王貞治氏だったらどんなに良かった事だろう!”、
そして“長嶋氏のホームラン記録も抜いた今、長嶋氏の教えを卒業して、
世界の王貞治氏にバッティングフォームを修正して貰ったら良いのに!”と。

 

 この思い(願い)が松井秀喜選手に通じたら嬉しいのに!と思いつつこの一文を書いたのです.
「夢」です。
そして、この「夢」がかなえば松井秀喜選手は、ヤンキースの松井ではなく、世界の松井となるだろうと夢見ているのです。
勿論、松井秀喜選手は「記録にも記憶にも残る大リーガー」となるであろうことを!

 いつもこんな事を思っている為か、私は、松井秀喜選手と、この「バッティングフォーム」を(焼肉を食べながら?)話し合った夢を何ヶ月も前に見た事があるのです。


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